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相場の原点大阪紀行!

ランキングが低迷中!(涙)


さてさて、大阪証券取引所も行った事だし・・・
お次は、銅座へ!


銅の売買で盛んだった所に行って来ました。
この銅の売買は特に住友が有名だったようです。


その場所がこれです。

銅座1













なにー!銅座って幼稚園じゃないですか!!


と思われるのも無理はありません。
今、この銅座の跡地が今は幼稚園になっているのです。
こんな由緒正しき場所が幼稚園になっているわけです。


ちょっと遠く銅座跡地を見るとこんな感じです。

銅座2







しっかし、凄い雰囲気の銅座の幼稚園です。
この幼稚園に通っている園児は将来、商人にでもなるのでしょうか?
それとも投資家かなぁ・・・


ここ銅座跡地はかなりいい雰囲気ですもの、なにかオーラを感じますね^^;
横の様子はこんな感じです。


銅座3







こんな幼稚園ですが、昔は銅の売買で使われた銅座という役所でした^^;
その跡がしっかりこんな感じで残っています。

銅座4












こんなシンプルな銅座の石柱です^^;
でも、この建物はそのまま残しているみたいで、いいですね。
古い建物や歴史のある場所には独特なパワーがありますから、
きっとこの幼稚園を出た園児はなにかあるかもしれませんね。


それこそ、起業家とか商人とかにですね。
どんな人のお子さんが通っているのかちょっと気になりました。


やはり子供の頃からの環境って大事ですから・・・
しかし、幼稚園の周りをカメラで撮っていると、結構怪しいです。
銅座の跡とは言えども・・・


ちょっと気になりました^^;


と言うわけで、相場のルーツを巡る旅はこんな感じです。
あとは、銅座の次に住友の本店あたりを巡ったりしました。


この辺は、まぁそれほどのモノではないのでアップしませんが、あとは、大阪の道頓堀あたりをぶらぶら歩きました・・・


この辺は、また後ほどアップしますね。
本当にくいだおれの様子ですから・・・


という事で、銅座は面白かった〜!と言う方は
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ランキングの上昇で僕のブログ更新もやる気があがりますので^^


という事で今日はこの辺で!


nenri96 at 13:54|PerlmalinkComments(0)clip!
ランキングはまったりしています(涙)


淀屋の屋敷跡の跡に、大阪証券取引所に訪れました。
ここも実は淀屋橋にあります。


この辺は、色んな相場に関係のある機関や史跡が集中しているんです。


これも淀屋の繁栄と共に関係している所があって、そもそもこの大阪証券取引所の原点は、当時の日本の経済の中心でもあった大阪に設けられた米穀取引所にさかのぼるんです。


実は、ここで年貢米の売買を諸大名にやっていたのが、淀屋でこれが「淀屋米市」と呼ばれるようになり、日本国の取引所の始まりと言われています。


のちに、淀屋米市は、対岸の堂島に移されて「堂島米会所」と呼ばれるようになりました。


と言うわけで・・・証券取引所の原点は、大阪であり、大阪証券取引所の方が元祖なんですね。


と言うわけで、大阪証券取引所にも足を運びました。

大阪証券取引所1













これが大阪証券取引所の外観です。
入り口らしき所に、人の銅像が


大阪証券取引所2













この人は、「五代友厚公」という人で大阪証券取引所の前身の大阪株式取引所の発起人となり、その設立に尽力した人である。


また大阪商法会議所を設立し、大阪経済の発展に貢献した人であるそうな・・・
って、ここに訪れるまでこの人の事は良く知りませんでした。
お恥ずかしい話ですが^^;


で、早速中に入ってみました。


大阪証券取引所4













だだっぴろい空間です。
今日は大阪証券取引所は土曜日で相場がお休みなので、非常に静かなたたずまいです。

大阪証券取引所3













さすがに大阪証券取引所の中までは入れませんでした^^;
残念・・・



という事で、大大阪証券取引所はこの辺で終わりです。



おお、なかなか大阪証券取引所もいいね〜!と言う方は
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さて、大阪証券取引所も行った事だし、お次は・・・
住友が主に取引した銅集めの役所跡に行く事にしました。


銅座と呼ばれるその場所ですね。
この辺り一帯は、鴻池や住友といった今で言う財閥系の会社が商人として、活躍していた跡があるので、その歴史を追うことはとーっても面白いのです。


という事で、銅座に行ってみよう・・・


続く!


nenri96 at 13:22|PerlmalinkComments(0)clip!
ランキングが落ちてきました(汗)


先月、大阪に仕事で行った時にある投資家から教えてもらったんです。


大阪の淀屋によってみるとイイよ!


淀屋橋は、世界で始めて先物取引を始めた場所



でもあるんだと教えて頂いたのです。


その先物取引の発祥は、さかのぼる事、江戸時代・・・
この地に栄えた淀屋によって始められたといわれている。


淀屋初代の常安は、秀吉が伏見在城のとき淀川の築堤工事を請負い財をなしたと言われる。


またその後の大坂の陣では徳川方にくみし、大坂三郷の惣年寄にも任ぜられ、中之島の開拓にも力を尽した。


二代个庵(コアン)のとき、靭(ウツボ)に海産物市場を開き、また西国諸藩の蔵米を取り扱い、淀屋の米市を開き、金融業や廻漕業を営むなど経営の多角化をはかり、巨万の富を得たのです。


米相場での先物取引が出てくるのは、淀屋五代目の辰五郎の時です。
この米相場のやり取りに下げのリスクをおさえるために先物取引が取り入れられたのです。


この時代としては、先物取引の導入は世界で始めての事だったのです。


この方法を考え出した淀屋はどんな人だったかというと、諸大名、将軍にもお金を貸し付けるほどの膨大な資産を抱え、豪商として贅沢な限りを尽くした商人である。


あまりにも豪奢の限りを尽くした為に、
幕府より財産没収に合い、捕まってしまう。


これによって流石の淀屋も衰退していく事となるのだが、
この地が淀屋橋と言われるゆえんは、この淀屋にあるんです。


こんな豪商がいたと言われる淀屋橋に行った見たかったのです。
どんな場所で彼らは商売をし、相場をやっていたのか・・・


という事で淀屋橋に足を運んでみました。
淀屋が繁栄した跡を見に行ったのです。


で、これがその跡です。
幕府から追われた事もあって今では、その繁栄を見る影もないです。
彼らが贅沢をしたその淀屋の場所には、こんな石柱が・・・

淀屋1












この淀屋の石柱の奥は、淀川が流れている。
この川を眺めながら贅沢の限りを尽くしたのだろう。


淀屋が幕府から追い詰められる小説でもある「びーどろの宴」にこの淀屋の贅沢の様子が描かれていて、淀川を望むこの場所で、水槽に女体を泳がせて宴を繰り返したとの記述もあった^^;


凄い贅沢の仕方です・・・
隣にこんな石碑がある。


淀屋2







これは淀屋が作った米市の様子を描いた物です。
米を担いだ人たちが描かれ、米相場の様子が伺えます。

淀屋4








この石碑の端っこにこんな人形が・・・
なんだか、この場所にとってもマッチしていたので思わずカメラに収めてしまいました。

淀屋3













淀屋が栄えた歴史には、幕府に貢献してきた功績と没落した影の部分をみると相場に関わる身として、思うところがありました。

淀屋5








淀屋の屋敷跡から淀川を眺める川の堤防に上って、しばし・・・当時を思いながら淀川を眺めていました。


左奥にみえるのは、日銀で右奥に見えるのは大阪市役所ですね。



なるほどね、淀屋の話、参考になりました!ってかたは
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さて、さて、淀屋橋淀屋の屋敷跡に行った後はどこに向かったかと言うと・・・
大阪証券取引所であります。


実際に行ってみたかったのですね。
そこに。


こちらに、続く!



nenri96 at 12:45|PerlmalinkComments(1)clip!
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井手 剛(イデ ツヨシ)

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