淀屋!世界初の先物取引は大阪に!
ランキングが落ちてきました(汗)
先月、大阪に仕事で行った時にある投資家から教えてもらったんです。
大阪の淀屋によってみるとイイよ!
淀屋橋は、世界で始めて先物取引を始めた場所
でもあるんだと教えて頂いたのです。
その先物取引の発祥は、さかのぼる事、江戸時代・・・
この地に栄えた淀屋によって始められたといわれている。
淀屋初代の常安は、秀吉が伏見在城のとき淀川の築堤工事を請負い財をなしたと言われる。
またその後の大坂の陣では徳川方にくみし、大坂三郷の惣年寄にも任ぜられ、中之島の開拓にも力を尽した。
二代个庵(コアン)のとき、靭(ウツボ)に海産物市場を開き、また西国諸藩の蔵米を取り扱い、淀屋の米市を開き、金融業や廻漕業を営むなど経営の多角化をはかり、巨万の富を得たのです。
米相場での先物取引が出てくるのは、淀屋五代目の辰五郎の時です。
この米相場のやり取りに下げのリスクをおさえるために先物取引が取り入れられたのです。
この時代としては、先物取引の導入は世界で始めての事だったのです。
この方法を考え出した淀屋はどんな人だったかというと、諸大名、将軍にもお金を貸し付けるほどの膨大な資産を抱え、豪商として贅沢な限りを尽くした商人である。
あまりにも豪奢の限りを尽くした為に、
幕府より財産没収に合い、捕まってしまう。
これによって流石の淀屋も衰退していく事となるのだが、
この地が淀屋橋と言われるゆえんは、この淀屋にあるんです。
こんな豪商がいたと言われる淀屋橋に行った見たかったのです。
どんな場所で彼らは商売をし、相場をやっていたのか・・・
という事で淀屋橋に足を運んでみました。
淀屋が繁栄した跡を見に行ったのです。
で、これがその跡です。
幕府から追われた事もあって今では、その繁栄を見る影もないです。
彼らが贅沢をしたその淀屋の場所には、こんな石柱が・・・

この淀屋の石柱の奥は、淀川が流れている。
この川を眺めながら贅沢の限りを尽くしたのだろう。
淀屋が幕府から追い詰められる小説でもある「びーどろの宴」にこの淀屋の贅沢の様子が描かれていて、淀川を望むこの場所で、水槽に女体を泳がせて宴を繰り返したとの記述もあった^^;
凄い贅沢の仕方です・・・
隣にこんな石碑がある。

これは淀屋が作った米市の様子を描いた物です。
米を担いだ人たちが描かれ、米相場の様子が伺えます。

この石碑の端っこにこんな人形が・・・
なんだか、この場所にとってもマッチしていたので思わずカメラに収めてしまいました。

淀屋が栄えた歴史には、幕府に貢献してきた功績と没落した影の部分をみると相場に関わる身として、思うところがありました。

淀屋の屋敷跡から淀川を眺める川の堤防に上って、しばし・・・当時を思いながら淀川を眺めていました。
左奥にみえるのは、日銀で右奥に見えるのは大阪市役所ですね。
なるほどね、淀屋の話、参考になりました!ってかたは
ランキングクリックをお願いします。
さて、さて、淀屋橋で淀屋の屋敷跡に行った後はどこに向かったかと言うと・・・
大阪証券取引所であります。
実際に行ってみたかったのですね。
そこに。
こちらに、続く!
先月、大阪に仕事で行った時にある投資家から教えてもらったんです。
大阪の淀屋によってみるとイイよ!
淀屋橋は、世界で始めて先物取引を始めた場所
でもあるんだと教えて頂いたのです。
その先物取引の発祥は、さかのぼる事、江戸時代・・・
この地に栄えた淀屋によって始められたといわれている。
淀屋初代の常安は、秀吉が伏見在城のとき淀川の築堤工事を請負い財をなしたと言われる。
またその後の大坂の陣では徳川方にくみし、大坂三郷の惣年寄にも任ぜられ、中之島の開拓にも力を尽した。
二代个庵(コアン)のとき、靭(ウツボ)に海産物市場を開き、また西国諸藩の蔵米を取り扱い、淀屋の米市を開き、金融業や廻漕業を営むなど経営の多角化をはかり、巨万の富を得たのです。
米相場での先物取引が出てくるのは、淀屋五代目の辰五郎の時です。
この米相場のやり取りに下げのリスクをおさえるために先物取引が取り入れられたのです。
この時代としては、先物取引の導入は世界で始めての事だったのです。
この方法を考え出した淀屋はどんな人だったかというと、諸大名、将軍にもお金を貸し付けるほどの膨大な資産を抱え、豪商として贅沢な限りを尽くした商人である。
あまりにも豪奢の限りを尽くした為に、
幕府より財産没収に合い、捕まってしまう。
これによって流石の淀屋も衰退していく事となるのだが、
この地が淀屋橋と言われるゆえんは、この淀屋にあるんです。
こんな豪商がいたと言われる淀屋橋に行った見たかったのです。
どんな場所で彼らは商売をし、相場をやっていたのか・・・
という事で淀屋橋に足を運んでみました。
淀屋が繁栄した跡を見に行ったのです。
で、これがその跡です。
幕府から追われた事もあって今では、その繁栄を見る影もないです。
彼らが贅沢をしたその淀屋の場所には、こんな石柱が・・・

この淀屋の石柱の奥は、淀川が流れている。
この川を眺めながら贅沢の限りを尽くしたのだろう。
淀屋が幕府から追い詰められる小説でもある「びーどろの宴」にこの淀屋の贅沢の様子が描かれていて、淀川を望むこの場所で、水槽に女体を泳がせて宴を繰り返したとの記述もあった^^;
凄い贅沢の仕方です・・・
隣にこんな石碑がある。
これは淀屋が作った米市の様子を描いた物です。
米を担いだ人たちが描かれ、米相場の様子が伺えます。
この石碑の端っこにこんな人形が・・・
なんだか、この場所にとってもマッチしていたので思わずカメラに収めてしまいました。

淀屋が栄えた歴史には、幕府に貢献してきた功績と没落した影の部分をみると相場に関わる身として、思うところがありました。
淀屋の屋敷跡から淀川を眺める川の堤防に上って、しばし・・・当時を思いながら淀川を眺めていました。
左奥にみえるのは、日銀で右奥に見えるのは大阪市役所ですね。
なるほどね、淀屋の話、参考になりました!ってかたは
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さて、さて、淀屋橋で淀屋の屋敷跡に行った後はどこに向かったかと言うと・・・
大阪証券取引所であります。
実際に行ってみたかったのですね。
そこに。
こちらに、続く!
この記事へのコメント
1. Posted by kei 2008年05月22日 16:31
そこの川は淀川ではありませんよ